世界史フランス編(1)10~17世紀【カペー朝・ヴァロワ朝・ブルボン朝のざっくり解説】

スポンサーリンク

※本ページはプロモーション・広告が含まれています。また、画像の一部にAI生成によるものを使用しています。

フランスの歴史

フランスの歴史について数回に分けて書いていきます。今回は第1回めです。最初のカペー朝からヴァロワ朝・ブルボン朝の途中までを解説します。

・この記事は高校世界史の参考書「世界史用語集」などを参考にしています。
頻度4以上赤文字で記載)の用語はなるべく入れています。

スポンサーリンク

カペー朝

フランスでは西フランク王国の後、10世紀にカペー朝がひらかれました。

カペー朝は350年近く続きました。カペー朝時代の主要な王について説明します。

ユーグ=カペーによるカペー朝成立

初代ユーグ=カペーはもともとパリ伯で、10世紀にカペー朝をひらきました。

「パリ伯」とは、国王に任命されてパリを統治する人のことです。

「尊厳王」フィリップ2世

第7代のフィリップ2世は、英王ジョンから大陸にあったイギリス領のほとんどを奪い、フランスの領地を大きくしました。この功績などから「尊厳王」とも呼ばれています。

ルイ9世の十字軍参戦

1226年に即位したルイ9世は、アルビジョワ十字軍を組織してアルビジョワ派(カタリ派)を討伐し、フランス南部を支配下に加えました。
アルビジョワ派(カタリ派)は、中世の南フランスでひろがったキリスト教の一派で、ローマ教会から異端とみなされていました。

また、1248年開始の第6回十字軍と、1270年開始の第7回十字軍では、軍の中心となってエジプトチュニジアを攻撃しましたが、どちらも失敗しました。

十字軍

また、ルイ9世はルブルックにモンゴルに十字軍への協力を頼みに行かせました。
この要請を受けたモンケ=ハンは、フラグを遠征させました。

フィリップ4世の三部会開催とアナーニ事件

1285年に即位したフィリップ4世は、議会である三部会を開いて、聖職者への課税を取り決めました。
そして課税に反対する教皇ボニファティウス8世と対立し、アナーニ事件教皇のバビロン捕囚を起こしました。

【中世ヨーロッパ】封建制度、荘園、教皇権の衰退について解説
高校世界史で扱われる中世ヨーロッパの歴史について、数回に分けて説明していきます。 今回は7回目です。 十字軍が失敗に終わった後、ヨーロッパでは封建制度や荘園、領主、騎士、そしてカトリック教会や教皇の権力が衰退していきました。 この時代のよう...

ヴァロワ朝時代のできごと

百年戦争

ジャンヌ=ダルク

カペー朝が断絶したあと、フィリップ6世が即位しヴァロワ朝が成立しました。これをきっかけに1339年、イギリスとの百年戦争がはじまりました。

1453年、フランスの勝利で戦争は終わりました。

イタリア戦争

領土の奪い合い
領土の奪い合い

百年戦争の後、ヴァロア朝は、イタリアの支配権をかけて神聖ローマ帝国(ドイツ)イタリア戦争(1494~1559)でたたかいました。フランソワ1世の時代に戦争は一番はげしくなりました。

約60年続いた戦争は、1559年にカトー=カンブレジ条約によって終結し、フランスはイタリア支配をあきらめました。

ユグノー戦争

新教徒(ユグノー) VS 旧教徒(カトリック)

16世紀は、宗教改革の影響で、ヨーロッパ各地で新教徒と旧教徒(カトリック)との争いが起きました。

1562年、フランスでもユグノー戦争という宗教戦争がはじまりました。

ユグノー戦争は、カルヴァン派新教徒(フランスでは「ユグノー」とよばれます)と、旧教徒(カトリック)との争いに、貴族どうしの政治闘争がからんだ内乱でした。

サン=バルテルミの虐殺

ユグノー戦争の中での大きな事件のひとつがサン=バルテルミの虐殺です。

1572年に、当時の国王の妹と、新教徒であるブルボン家のアンリの結婚式がパリで行われました

そのとき、結婚式に集まった新教徒(ユグノー)たちが旧教徒(カトリック)におそわれ、犠牲となります。

この事件の首謀者は、当時の国王の母であるカトリーヌ=ド=メディシスだといわれています。

ブルボン朝

ユグノー戦争の最中にヴァロワ朝は断絶しました。

その後に成立したブルボン朝の時代に、国王が大きな実権をふるうフランス絶対王政が始まりました。

ユグノー戦争を終わらせたアンリ4世

サン=バルテルミの虐殺のさいに名前がでたブルボン家のアンリが、ブルボン朝の初代国王アンリ4世となりました。

アンリ4世は国内の多数派に合わせてユグノーからカトリックに改宗しました。

また、1598年にはナントの王令をだし、条件付きでユグノーの信仰を認めました。

これにより新教徒も旧教徒も納得し、ユグノー戦争が終結しました。

フランス東インド会社の設立

また、アンリ4世の時代から海外進出がはじまりました。

1604年にフランス東インド会社を設立し、1608年にはカナダに植民地ケベックをつくりました。

ルイ13世

アンリ4世の次に即位したルイ13世は、議会である三部会の開催を停止しました。また、宰相のリシュリューは、貴族の力を弱くして国王の権力を強くしました。

これによりフランスの絶対王政への動きが進みました。

大勢と大勢の戦い
大勢と大勢の戦い

また、1618年に始まった三十年戦争に参戦します。

フランスはカトリック教徒が多い国ですが、神聖ローマ帝国と仲が悪かったので新教徒側に参加しました。

戦争終結のさいのウェストファリア条約で、フランスはアルザス地方を獲得しました。

おわりに

フランク王国が分裂した後、フランスではカペー朝、次にヴァロワ朝がおこりました。

カペー朝ヴァロワ朝についてまとめました。

  • カペー朝(10世紀~
    • 初代・パリ伯ユーグ=カペー
    • フィリップ2世
      • 英王ジョンから領地を奪う
    • ルイ9世
      • アルビジョワ十字軍
      • ルブルックをモンゴル帝国へ派遣
    • フィリップ4世
      • 三部会を開催、アナーニ事件教皇のバビロン捕囚
  • ヴァロワ朝
    • 百年戦争(1339年~1453年)
      • ジャンヌ=ダルクの登場で逆転勝ち
    • イタリア戦争
    • ユグノー戦争
    • サン=バルテルミの虐殺

王朝はブルボン朝に交代します。

ブルボン朝についてまとめました。

  • アンリ4世
    • ナントの王令によりユグノー戦争が終結
    • フランス東インド会社・カナダに植民地ケベックをつくる
  • ルイ13世
    • 三部会の開催を停止
    • 宰相のリシュリューが国王の権力を強化
    • 三十年戦争に参戦

次はフランス絶対王政のピーク、「太陽王」ルイ14世が登場します。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました