高校世界史でふれるフランスの歴史について数回に分けて書いていきます。
今回は20世紀のフランスのようすについて説明していきます。
第一次世界大戦中~戦後
第一次世界大戦中、フランス首相クレマンソーは1917年に挙国一致内閣を結成し、戦争を勝利へ導きました。戦後は、賠償金支払い・領土割譲など、ドイツに対する厳しい報復措置を主張しました。
挙国一致内閣というのは、国の危機を乗り切るために対立する政党も含めてつくられる内閣です。
1923年、ドイツからの賠償金の支払いがとどこおったため、フランスとベルギーは、ドイツ西北部のルールを占領しました。このルール出兵は、国際的に強く批判されました。
この後フランスは、当時の国際協調主義の流れにのって、1925年のロカルノ条約締結や、1928年の不戦条約の締結など、他国と協調しながら外交を進めるようになりました。
国際協調主義とは「外国との問題は友好的に協力し合って解決しよう」という考え方です。
フラン=ブロック
1929年に起きた世界恐慌に対し、フランスはブロック経済によって国内経済を守ろうとしました。
ブロック経済とは、本国や自治領・植民地の間で経済圏(ブロック)を作って、その中だけで貿易を行い、お金がブロックの外に出ないようにする体制です。
当時のフランスの通貨フランの名をとって、この政策はフラン=ブロックと呼ばれます。
ブルム人民戦線内閣
不況がつづくフランスでは、反共産主義・反社会主義を掲げるファシズム勢力が力を伸ばしました。
フランスの社会主義政党や共産主義政党は、ファシズム勢力を警戒し、1935年に人民戦線を結成しました。フランス社会党・急進社会党・フランス共産党が反ファシズムを掲げて団結しました。
人民戦線は徐々に勢力を拡大し、1936年にはブルムが首相をつとめる人民戦線内閣が成立しました。
第二次世界大戦中~戦後
第二次世界大戦中の1940年6月、ドイツ軍にパリを占領され、フランスの第三共和政は崩壊しました。
その後、南フランスに、ドイツに協力することを義務付けられたヴィシー政府が成立し、ペタンという人が国家主席となりました。
一方、フランスの軍人ド=ゴールはフランスの降伏に反対。亡命先のロンドンで自由フランス政府をつくり、フランスの人々にドイツへの抵抗を呼びかけました。こうした動きをレジスタンスと呼びます。
戦後のフランスでは、第四共和政が始まりました。
インドシナ戦争、アルジェリア戦争など、フランスからの独立に関する戦争があいつぎ、フランス国内は混乱します。
ド=ゴール大統領と第五共和政の開始
第二次世界大戦中にレジスタンスを指揮したド=ゴールが1958年に第五共和政の初代大統領となります。
1958年、ド=ゴール大統領の提唱で大統領権限を強化した第五共和国憲法が公布されました。ド=ゴール大統領は軍部を抑えてアルジェリアの独立を承認しました。
彼のもとでフランスは1960年に核実験に成功し、アメリカ・イギリス・ソ連に次ぐ核保有国となりました。
外交面では
- 中華人民共和国を承認
- NATO軍事機構から脱退
など、アメリカやイギリスとは距離を置きました。
ド=ゴール政権が長期化すると、若者を中心に政権に反発する動きが生まれました。1968年5月には、学生・労働者・市民による反ドゴール運動(五月危機)が起き、ド=ゴールは翌年に退陣しました。
フランスの歴史クイズ(フランス革命以降)
おわりに
今回はここまでです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。