イギリスの歴史について解説します。今回は4回目です。
17世紀はじめにスチュアート朝がはじまり、ピューリタン革命、名誉革命をへて断絶しました。
18世紀はじめにおこったハノーヴァー朝以降は、国王ではなく内閣が政治を行うようになりました。
今回はイギリスの政治ではなく、18世紀後半に本格化した産業革命について説明します。
・この記事は高校世界史の参考書「世界史用語集」などを参考にしています。
頻度4以上(赤文字で記載)の用語はなるべく入れています。
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産業革命はなぜイギリスで起きたのか
産業革命とは、18世紀のイギリスから始まった、機械化や工業化などの技術革新と、それにともなう社会の変化のことをいいます。
当時のイギリスでは、産業革命を起こすのに必要なお金や労働力と、産業の効率化を求めるムードがそろっていました。
労働力と資金があった
18世紀のイギリスでは、農業のやり方が変わる農業革命がおこりました。新しい農法を行うため、イギリスでは、第2次囲い込みというものが行われました。
それによって一部の農民は土地と仕事をなくし、都市へ出て工場労働者にジョブチェンジします。
また、イギリスは貿易で大きな利益をあげていました。
そんなわけでヒトとお金に余裕があったため、産業革命が可能になっていました。
17~18世紀のイギリスなどでは黒人奴隷を人身売買する三角貿易が行われました。
①イギリスから工業製品や武器をアフリカに運び、黒人奴隷と交換して、②アメリカで黒人奴隷を渡し、タバコや綿花、砂糖などの農作物を受け取る。③アメリカの農作物をイギリスで売ってお金にする。という流れです。
19世紀もイギリスでは三角貿易が行われましたが、このときは黒人奴隷の人身売買はしませんでした。しかし中国でアヘンを売っていました。
以上、三角貿易についてでした。
植民地の拡大をめざす
また、イギリスは、1688年から1815年の間にあった、フランスとの植民地のとりあい(第2次英仏百年戦争)に勝利し、北米やインドなどの植民地を手に入れました。
商品をたくさん植民地に売りたかったので、生産の効率アップが求められていました。
産業革命における技術革新
織機と紡績機の改良による綿工業の発展
イギリス産業革命は、綿工業の技術革新からはじまりました。
当時インド産の綿織物がイギリスで人気だったので、国内の布づくりも、毛織物から綿織物が中心になってきました。
1733年、ジョン=ケイが飛び杼(とびひ)という道具を発明し、布を爆速で織れるようになります。
上の写真の、左手で持っている細長いのが、杼(ひ)(=シャトル)です。
布を織るには、この杼を左から右、右から左に通さないといけません。
飛び杼(とびひ)は、横に通す操作がスピーディ&ラクにできるように改良したもので、飛ぶように早く動いたので「飛び杼」とよばれました。
そしたら今度は原料の糸が足りなくなってきたので、糸を作るための紡績機(ぼうせきき)が研究されました。
古い順に
- ハーグリーヴズによる多軸紡績機(ジェニー紡績機)
- アークライトによる水力紡績機
- クロンプトンによるミュール紡績機
が作られ、糸が大量につくれるようになりました。
「ミュール」というのはロバと馬から生まれた「ラバ」のことです。ジェニー紡績機と水力紡績機の特徴をあわせてつくられたので、こう名付けられました。
これを知っておくと、ミュール紡績機って、ほかのより新しいんだな、って覚えられますね。
そして、1785年にカートライトが蒸気機関を動力につかった力織機(りきしょっき)を作り、さらに超はやく布を織ることができました。
蒸気機関についてはあとで説明します。
コークス製鉄法による鉄の改良
18世紀の初め、ダービー父子が石炭を使ったコークス製鉄法を開発し、純度が高くて強い鉄を大量につくれるようになりました。
鉄は機械や工業にひろく使われるようになり、産業革命を支えました。また、製鉄や蒸気機関の燃料として、石炭の需要も増えました。
蒸気機関
18世紀のイギリスでは、蒸気の力で機械を動かす蒸気機関が実用化されました。
まず、イギリスの技術者ニューコメンが18世紀初めに蒸気機関を作りました。
ただ、蒸気機関が動力として本格的に使われたのは、1776年、ワットが改良型の蒸気機関をつくってからです。
蒸気機関の普及により、人力ではなく機械中心でモノをつくる機械制工場が建てられるようになりました。また、蒸気機関で動く船や鉄道機関車がつくられました。
蒸気船
1807年に、アメリカのフルトンが蒸気船を発明しました。
1819年、蒸気船はアメリカ東海岸からイギリスまでの大西洋横断に成功しました。
蒸気機関車
1814年に、イギリスの技術者スティーヴンソンが蒸気機関車を作りました。
蒸気機関車は、1825年にストックトン~ダーリントン間で試運転が行われ、1830年からマンチェスター~リヴァプール間で営業運転が行われました。
蒸気船や蒸気機関によって、イギリスの交通環境が変化したことを交通革命といいます。
輸送手段のメインは、運河を使ったものから鉄道へ変わっていきました。
産業革命の影響
産業革命がイギリスの社会に与えた影響についてです。
世界の工場
最初に産業革命が起きたイギリスは、19世紀の中ごろには「世界の工場」とよばれ、世界最大の工業国として繁栄しました。
資本主義体制の確立
産業革命により、「機械・工場・原料などの生産手段を持つ産業資本家(お金持ち)や企業が労働者を雇い、商品をつくって売って、利益を得る」という資本主義体制が確立しました。
お金を持ってるオーナーが人をやとって働かせて、さらに儲ける、ということです。
資本主義体制が確立したあとは、労働者階級は労働条件の改善を求め、資本家と対立するようになりました。
都市への人口集中
工業がさかんになると、農村から都市へと多くの人が移住しました。
イギリスでは
- 綿工業がさかんなマンチェスター
- 製鉄業や機械工業がさかんなバーミンガム
- マンチェスターの近くの港町リヴァプール
などに人口が集中しました。
労働問題の発生
工場では機械を操作できれば誰でも働けるので、女性や子どもが、成人男性より安い賃金で酷使されるという問題が多発しました。
イギリスの経営者オーウェンは、1800年ごろから労働環境の改善や、労働者を守る工場法の改正に貢献したので、社会主義の先駆者といわれます。
ラダイト運動
1811年にはラダイト運動といって、機械の普及で仕事を失った職人たちによる機械うちこわし運動が起きました。
産業革命が起きた国では、資本主義化や、都市の人口集中や、労働者の問題など、同じような変化が起きていきました。
イギリス以外の国の産業革命
まず1830年代にイギリスから近いベルギー、七月革命の後のフランスで産業革命が起こりました。その後、ドイツとアメリカで産業革命が起こりました。
19世紀後半には重化学工業が発展して、石炭の代わりに石油と電力がおもなエネルギー源になる第二次産業革命が起きます。アメリカやドイツは、この第二次産業革命の中心となりました。
重化学工業というのは金属・機械・造船などの重工業と石油・薬品・ゴムなどの化学工業をまとめた言い方です。軽工業とは食品・繊維・紙や木材製品などの製造業をさします。
ドイツは1871年にドイツ帝国ができたころ、産業革命が本格化しました。
アメリカの産業革命は1830年代からはじまり、1861年に起きた南北戦争のあとから加速します。
さらに遅れて、ロシアと日本で産業革命が始まりました。
ロシアは、露仏同盟を結んだフランスからお金を借りて1890年代に産業革命を行います。
1870年(明治3年)代には、明治政府によって日本の産業革命が本格化します。その後、日本は日清・日露戦争をへて欧米列強に並ぶ大国になります。
産業革命以前のイギリスの歴史クイズ
おわりに
産業革命は、18世紀のイギリスから始まりました。
第二次囲い込みや貿易で、必要な労働力とお金があったため、産業革命がすすみ「世界の工場」と言われる世界一の工業国になりました。
蒸気機関車や蒸気船の登場で、交通革命も起きました。
便利になった一方、資本主義が進み、都市の人口集中や、労働者の問題も出てきました。
産業革命は、ベルギーやフランス→ドイツ、アメリカ→ロシアと日本など、世界中に広がっていきました。
次回は、18世紀~19世紀のイギリスの出来事についてです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。