イギリスの歴史について書いていきます。今回は第2回目です。
イギリスの支配者はイングランド王国、クヌート、ノルマン朝、プランタジネット朝とうつりかわりました。
今回は、ランカスター家とヨーク家が戦ったバラ戦争の後にはじまったテューダー朝の時代の話です。
- ヘンリ8世のイギリス宗教改革
- イギリス絶対王政のピークであるエリザベス1世の時代
などを解説していきます。
・この記事は高校世界史の参考書「世界史用語集」などを参考にしています。
頻度4以上(赤文字で記載)の用語はなるべく入れています。
記事テキストの読み上げ音声もあります。
ヘンリ7世・ヘンリ8世
ばら戦争のあと、イギリスでは、1485年にランカスター家の親戚のテューダー家によるテューダー朝が成立しました。初代国王はヘンリ7世です。
ヘンリ8世によるイギリス絶対王政の開始
次のヘンリ8世は、本格的な絶対王政と、イギリス宗教改革を始めました。
国王が絶大な権力を持ち、独裁的な政治を行ったことを絶対王政といいます。
![絶対王政の王様](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/かわいい王様-150x150.png)
王様のいうことは絶対!!!
ヘンリ8世によるイギリス国教会の創設
ヘンリ8世は、ルターが免罪符やカトリックの批判などの宗教改革をはじめたときは、ルターに反対する論文を書くほど熱心なカトリック信者だったのですが、ある理由でカトリックから離れ、新しい一派をつくりました。
ヘンリ8世は王妃と離婚しようとしましたが、当時、カトリックでは離婚が認められていなかったため、ローマ教会ともめました。
![](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/離婚届を叩きつける人.png)
ヘンリ8世は1534年に国王至上法(首長法)を定め、イギリス国教会をつくりました。
イギリス国教会は国王をトップとしていて、カトリックのローマ教会からは独立した教会です。
ただ、ヘンリ8世はイギリス国教会の信仰を国民に強制しませんでした。また、できた当初は国教会の内容や決まりについてはボンヤリしていました。
国王至上法に基づき、ヘンリ8世はカトリックの修道院の土地をとりあげ、市民に安く売りました。こうしてヘンリ8世は、カトリックへの嫌がらせと、国民の人気とりの両方に成功しました。
また、ヘンリ8世は、国王直属の裁判所である星室庁裁判所をつかい、自分に邪魔な者たちを消していって、絶対王政を確立しました。
メアリ1世のカトリック強制
1553年に即位したメアリ1世は、イギリス国民にカトリックを強制し、国教会を弾圧しました。
自分も夫も熱心なカトリック教徒だったからです。
メアリ1世の夫は、のちのスペイン王フェリペ2世で、スペイン絶対王政のピーク時の国王です。
![](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/spa1-160x90.jpg)
メアリ1世は即位して5年でなくなり、カトリックの強制はおわりました。
また、この時代、イタリア戦争に神聖ローマ帝国側で参戦し、大陸に残っていた唯一のイギリス領、カレーを失っています。
![](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/壊している人のイラスト(棒人間).png)
エリザベス1世(エリザベス女王)
![](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/07/イギリス(イングランド)のエリザベス女王.png)
メアリ1世の次に、1558年にエリザベス1世が即位しました。
ちなみに、1952年~2022年9月に在位していたエリザベス女王は「エリザベス2世」です。
エリザベス1世の時代にイギリス絶対王政は全盛期を迎えました。
ちなみに劇作家シェークスピアも、この時代の人です。
統一法によるイギリス国教会の完成
エリザベス1世は、1559年に統一法を定めました。これでイギリス国教会の体制や作法ができあがり、イギリスの宗教改革は完成しました。
第1次囲い込み
![](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/隣の芝生は青い.png)
16世紀のイギリスでは毛織物産業がさかんになり、原料の羊毛が高値で取引されるようになりました。
そこで領主や地主は、農民から取り上げた畑などを塀などで囲み、羊を育てる牧場にしました。これを第1次囲い込み(エンクロージャー)といいます。第一次というからには、第二次もあります。
貧しい農民が増えたため、エリザベス1世は、貧しい人にお金や仕事をお世話する法律をつくりました。
エリザベス1世時代の重商主義
![](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/海賊.png)
エリザベス1世は重商主義といって、イギリスの経済発展を重視しました。そのため、貿易をさかんにしたり、貿易拠点となる海外の土地を支配するような政治を行いました。
1600年、アジア方面の貿易を行うイギリス東インド会社をつくりました。
ほかには、部下を新大陸アメリカに派遣して、移住させようとしましたが、これは失敗しました。
海賊ドレーク
また、貿易のライバルとなるスペインと争いました。
「私拿捕船(しだほせん)」の船長ドレークなどが、スペインなどの船を攻撃・略奪しました。「私拿捕船」とは、国王から海賊行為の許可をもらっている船です。ドレークは、イギリス初、世界で2番目の世界一周に成功したことでも知られています。
アルマダの海戦に勝利
1588年、アルマダの海戦で、イギリス軍がスペインの無敵艦隊(アルマダ)に勝利しました。天気が味方したのもありますが、この勝利でイギリスの船や海軍は一目おかれるようになり、スペインは落ち目になっていきます。
1603年に独身だったエリザベス1世がなくなり、テューダー朝はとだえました。
おわりに
プランタジネット朝の次のテューダー朝の時代に、ヘンリ8世によりイギリス国教会がつくられ、エリザベス1世によりイギリス宗教改革は完成し、絶対王政のピークが来ました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回は、テューダー朝の後のステュアート朝についてです。