16~18世紀のヨーロッパで、国王が絶対的な権力を持って政治をしてる状態を絶対王政といいます。いばってて、やりたい放題の王様というかんじです。(あくまでもイメージ)
▼各国の絶対王政の時代についてもっと知りたいかたはコチラの記事をどうぞ▼
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今回はこの時代のヨーロッパの社会と文化について解説していきます。
絶対王政時代の制度や社会
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15~16世紀のポルトガル、スペイン、16~17世紀のイギリス、フランス、プロイセンやオーストリアでは、国王の権力が強くなり、国王が独裁を行う絶対王政の時代になります。
絶対王政で特徴的なのが
- 官僚制(王が政治面で補佐させるために官僚をやとった)
- 王が常備軍を持っている(それまでは戦争のたびに兵が集められていた)
- 官僚や常備軍を雇うため、貿易などでお金を稼ぐことを重視した重商主義の政策を行った
- 「国王の権利は神が授けたものであり、誰にも奪えない」と主張して王様を正当化する王権神授説
などです。
絶対王政時代の支配者は王権神授説と常備軍で権威をたもち、官僚をつかって政治をしっかり行い、近代的な主権国家となって国力をのばそうとしました。
また、国は常備軍や官僚をやとうためのお金を得るために重商主義政策をとり、産業では効率のよい工場制手工業(マニュファクチュア)が発展しました。
こまかく説明していきます。
官僚と常備軍
このころ、国王に仕えて政治の事務を行う官僚という仕事ができました。主に貴族が官僚をやっていました。
また、それまでは戦争がないときは軍隊は解散されていましたが、絶対王政期には常備軍という国王の軍隊が常に設置されました。
主権国家
国境がはっきりしている近代的な国家を主権国家といいます。この時代になると大半の国が主権国家になって覇権を争う主権国家体制になりました。
王権神授説
絶対王政は、制度だけでなく「国王の権利は神が授けたものであり、誰にも奪えない」とする王権神授説という理論によっても支えられていました。
重商主義
![お金](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/07/現金.png)
絶対王政では、官僚や常備軍を雇うために、国のお金を増やすことを重視する重商主義政策がとられました。
重商主義のなかでも、 海外植民地から金銀を奪って富を増やす重金主義と、貿易で稼いでいく 貿易差額主義 の二通りがありますが、貿易差額主義のほうが徐々に主流となっていきます。
工場制手工業 ( マニュファクチュア )
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輸出でもうけるためには、安くて質の良い商品を大量につくる必要があります。
そこで16世紀後半から、有産市民層(ブルジョワジー)というお金持ちが工場を建てて労働者を雇い、分業によって製品をつくる工場制手工業(マニュファクチュア)という生産方式が生まれました。
それまでは問屋制といって、内職のボールペンの組み立てみたいに一人が材料や道具を受け取って1から完成までやるのが主流でした。工場制手工業(マニュファクチュア)ではベルトコンベアーの流れ作業みたいに手分けして組み立てることで、効率のよい生産ができました。
つぎは、絶対王政時代の文化についてです。
科学
16~17世紀のヨーロッパでは、科学面で大きく発展する科学革命が起きました。
イギリス、フランスでは、科学技術の発展を目指す団体として科学アカデミーがつくられました。
物理学
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- イギリスのニュートンが1687年に著書『プリンキピア』で万有引力の法則を発表
- フランスの数学者、天文学者ラプラースは天文学に万有引力の法則を応用しました。
化学
- フランスのラヴォワジェが質量保存の法則を発見。フランス革命で処刑されました。
- イギリスのボイルがボイルの法則を発見。イタリアに行ったさい、晩年のガリレオから指導をうけました。イギリスに帰った後はピューリタン革命の時期に兄や父をなくして苦労しました。
生物学・医学
イギリスのハーヴェーは、血液は心臓によって全身をめぐってるという血液循環説を唱えました。ステュアート朝のジェームズ1世・チャールズ1世のおかかえ医師もしていました。
イギリスのジェンナーは種痘法(天然痘の予防接種)を開発しました。
スウェーデンのリンネは動植物の分類法に貢献しました。
哲学
経験論という考え方をベースに、イギリスを中心に帰納法という哲学ができました。帰納法を唱えた主な哲学者はフランシス=ベーコン (イギリス)です。
またフランスでは演繹法という考え方をベースに、合理論という哲学があらわれました。合理論を唱えたおもな哲学者は
- 著書「方法序説」のなかの「われ思う、ゆえにわれあり(コギト・エルゴ・スム)」が有名なデカルト(フランス)
- オランダの哲学者スピノザ
- ドイツの哲学者ライプニッツ
- 著書『パンセ』のなかの「人間は考える葦である」が有名なフランスの哲学者パスカル
などがいます。
ドイツ観念論哲学
18世紀後半のドイツの哲学者カントは『純粋理性批判』を書き、ドイツ観念論哲学をはじめました。
19世紀にヘーゲルが弁証法哲学という考え方により、ドイツ観念論哲学を大成しました。
ドイツ観念論哲学はカントがはじめて、ヘーゲルが大成させました。
啓蒙思想
18世紀のヨーロッパ、とくにフランスでは啓蒙思想がひろまり、フランス革命のきっかけのひとつになりました。
啓蒙思想とは、「神様が決めた」とか「昔から決まっているから」とかいう意見は無視して、合理的・理性的に旧来の政治や社会制度を批判しようぜ!という考え方です。
フランスの啓蒙思想家には
- 1748年に『法の精神』を刊行し、権力を立法・司法・行政の3つにバランスよく分ける三権分立をとなえたモンテスキュー
- 『哲学書簡』を刊行し、王権神授説を批判したヴォルテール
- 1755年に『人間不平等起源論』、1762年に『社会契約論』を刊行したルソー
- 『百科全書』を書いたディドロとダランベール
などがいます。
思想
- 著書『リヴァイアサン』のなかの「万人の万人に対する闘い」という言葉が有名な、イギリスのホッブズ。フランシス=ベーコンの助手や、イギリスのチャールズ2世の家庭教師をしたことがあり、ガリレオ、デカルトと知り合いでした。
- イギリスの哲学者ロックが書いた、名誉革命を擁護する内容の『統治二論』
- 王権神授説にかわる国家のあり方として唱えられた、社会契約説という考え方
社会契約説とは、ざっくり言うと「国家や政府は国民の権利を守るために存在している」「国家や政府は、国民との契約や国民の合意によって成立している」というような考え方です。
市民による革命を正当化する理論という面が強いです。
法学
17世紀のオランダの法学者であるグロティウスは『海洋自由論』『戦争と平和の法』を著し、自然法という思想を主張しました。
グロティウスは「国際法の祖」や「近代自然法の父」とよばれています。
自然法とは、ざっくり言うと「もともと当たり前にある万国共通のルール」で、国がそれぞれ決めた法律よりも上位にあるとされる法律です。
経済学
- ルイ14世の財務総監であり、重商主義政策を進めたコルベール
- 重商主義を批判する重農主義を唱えた、フランスの経済学者ケネーが書いた『経済表』
- 重農主義を重んじ、ルイ16世の時代に財務総監をしていたテュルゴー
- 国家が経済活動に介入することを批判した自由放任主義
- 古典派経済学をはじめたイギリスの経済学者アダム=スミスが書いた『諸国民の富』
- イギリスの経済学者マルサス
- 古典派経済学を確立したイギリスの経済学者リカード
芸術
ひとつ前の文化はルネサンス期です。
この時代は、芸術面では
- 16世紀後半~18世紀前半のバロック様式(派手・豪華・重厚が特徴)
- 18世紀のロココ様式(繊細・華麗・軽やかさが特徴)
が中心となります。
建築
フランスのルイ14世が建てたバロック様式のヴェルサイユ宮殿
プロイセン(ドイツ)のフリードリヒ2世がポツダムという街に立てたロココ様式のサンスーシ宮殿
美術
16世紀後半~18世紀前半には派手・豪華が特徴のバロック美術が流行します。代表的な画家は
- スペインの画家エル=グレコ、ベラスケス
- 「夜警」を描いたオランダのレンブラント
などです。また、14世紀末からフランドル地方で発展した画家の流派をフランドル派といいます。フランドル派の画家たちも17世紀前後はバロック美術を手がけました。代表的な画家はルーベンスやファン=ダイクです。
18世紀は、フランスを中心に繊細さが特徴のロココ美術が流行しました。代表的な画家はワトーです。
音楽
16世紀後半~18世紀前半にはやったバロック音楽の代表的な音楽家
- ドイツのバッハ
- イギリスのヘンデル
18世紀半ばから19世紀にはやったドイツ古典派音楽の代表的な音楽家
- オーストリアのハイドン
- オーストリアのモーツァルト
- ドイツのベートーヴェンは、この後のロマン派音楽の時期も活躍しました。
文学
17世紀のフランスでは形式美を重んじだ古典主義文学がはやり、悲劇作家のコルネイユとラシーヌ 、喜劇作家のモリエールが活躍しました。
また、イギリスの文学作品はには
- 17世紀のイギリスでおこったピューリタン文学
- イギリスの詩人ミルトンの叙事詩『失楽園』
- イギリスの作家バンヤンの書いた物語『天路歴程』
- イギリスの作家デフォーの『ロビンソン=クルーソー』
- アイルランドの作家スウィフトの『ガリヴァー旅行記』
があります。
市民の生活
17世紀以降。ヨーロッパでは定期的に新聞が刊行されるようになり、市民が情報を得られるようになりました。
17世紀~18世紀にはフランスではカフェ、イギリスではコーヒーハウスが多く作られました。ここは市民たちの話し合いの場所となり、政治思想や文化の発展に貢献しました。
また、17~18世紀のフランスでは貴族や上流階級の女性がサロンを開いて学者や作家、芸術家をあつめるようになりました。こちらも文化・思想の発展の場所となったり、芸術家が有名になるためのきっかけとなりました。
おわりに
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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