スペイン・ポルトガルの歴史(前編)大航海時代

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ヨーロッパ各国史(英・仏以外)

ヨーロッパの西側、スペイン・ポルトガル・オランダの歴史をまとめた記事です。

イベリア半島って地域がメインになります。

今回は

  • スペインが国土回復運動レコンキスタ)を完了させ、イベリア半島を取り戻す
  • スペイン・ポルトガルが15世紀以降の大航海時代の主役になる

あたりを解説していきます。

当初、オランダはスペインの一部で、まだ独立していません。

・この記事は高校世界史の参考書「世界史用語集」などを参考にしています。
頻度4以上赤文字で記載)の用語はなるべく入れています。

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国土回復運動(レコンキスタ)

イベリア半島では8世紀初頭から国土回復運動レコンキスタ)というのがはじまりました。

イスラーム王朝を倒し、領土を取り戻そうとする動きを国土回復運動レコンキスタ)といいます。

  • カスティリャ王国
  • アラゴン王国
  • ポルトガル王国

の3つのキリスト教国家が中心となってレコンキスタを行いました。

イベリア半島のイスラム王朝

今のスペインがあるイベリア半島は、713年にイスラム王朝であるウマイヤ朝がキリスト教の西ゴート王国を滅ぼしてからは、ずっとイスラム王朝に支配されていました。

順番に、後ウマイヤ朝→ムラービト朝→ムワッヒド朝→ナスル朝という4つのイスラム王朝が、イベリア半島を支配しました。

イベリア半島にあったイスラム王朝については、こちらの記事で詳しく書いています。

スペイン王国の誕生とレコンキスタの終了

イサベルとフェルナンドの結婚
イサベルとフェルナンドの結婚

レコンキスタの中心だった、カスティリャ王国の王女イサベルと、アラゴン王国の王子フェルナンドが結婚しました。

この結婚によって、1479年に2つの国が合体してスペイン王国となりました。

1492年、このスペイン王国が、最後のイスラーム王朝であるナスル朝の都グラナダを陥落させ、ナスル朝を滅ぼしました。

こうしてスペイン王国レコンキスタを完了させました。

大航海時代のきっかけ

船

15~16世紀頃、ポルトガル、スペインを中心とするヨーロッパの人々がアジアやアメリカなどの世界各地に航海していきました。

この時代を大航海時代といいます。

大航海時代のきっかけは

  • 香辛料を手に入れるルートの開拓
  • 「東方見聞録(世界の記述)」を読んで、アジアに興味がある人が増えた
  • 羅針盤がヨーロッパに入ってきた

などがあります。くわしく解説していきます。

香辛料を手に入れる海上ルートの開拓

胡椒をひくペッパーミル
胡椒をひくペッパーミル

コショウなどの香辛料は、当時のヨーロッパでは高く売れる人気商品でした。

しかし香辛料はヨーロッパでは育たないため、「東方貿易」といって、北イタリアの人たちがアジアに行って買ってきていました。

ところが、15世紀になるとオスマン帝国が地中海東岸を占領し、東方貿易がやりづらくなります。

このため、ヨーロッパでは、海を渡って別ルートからアジアに行って香辛料を手に入れよう、という動きがおこりました。

香辛料が欲しい人
香辛料が欲しい人

うまくいったら大金持ちだ!

マルコポーロの東方見聞録

たのしい読書

ヴェネツィア出身の旅行家マルコ=ポーロの皇帝フビライ・ハンに仕えた人です。

元についてはこちらの記事で詳しく書いています。

13世紀末に、アジアについて語った彼の言葉をまとめた『世界の記述』(「東方見聞録」)という旅行記が出版されました。

世界の記述』(「東方見聞録」)の中では日本も「ジパング」という名前で紹介されています。

この作品が人気となり、ヨーロッパの人たちはアジアに興味をもつようになりました。

羅針盤

コンパス(羅針盤)

中国ので発明された、方角を知る道具「羅針盤」がヨーロッパに入ってきました。

羅針盤によって航海がしやすくなり、より遠くへ行けるようになりました。

ポルトガルの躍進

15世紀前半のポルトガルの王子エンリケは航海活動を奨励したり、アフリカ西岸に艦隊を派遣し、探検調査を進めました。このためエンリケは「航海王子」と呼ばれました。

ポルトガルはアフリカからインドに向かう航路の開拓をはじめます。

船

1488年、バルトロメウ=ディアスはアフリカ最南端の喜望峰に到達しました。

1498年、ヴァスコ=ダ=ガマは、アフリカ東岸を通ってインドカリカットに着きました。

1500年、ポルトガルのカブラルは航海の途中で嵐にあって漂流し、ぐうぜんブラジルへ到達しました。

船でヨーロッパから南アフリカを通ってインドへ行くルートはインド航路といわれ、アジアとの貿易のメインルートになりました。

ポルトガルのアジア・アメリカ支配

インド航路を見つけたポルトガルのアジア進出は16世紀に最盛期を迎え、インド、東南アジア、中国、日本に行きました。

ポルトガルの植民地

ポルトガルは

  • インド南部のセイロン島(スリランカ)、インド西部のゴアという都市を占領しました。
    セイロン島(スリランカ)は1814年のウィーン会議でイギリスのものになりますが、ポルトガルによるゴアの支配は、20世紀まで続きます。
  • 東南アジアでは、マレー半島南部のマラッカ王国を滅ぼして占領しました。またインドネシアにある香辛料の産地のモルッカ諸島を占領しました。
  • 中国南部のマカオを1887年から1999年まで領有しました。
  • 1543年に日本の種子島に来て鉄砲を伝えました。
  • 南米のブラジルを支配し、アフリカから連れてきた黒人奴隷を大農園(プランテーション)で働かせました。

こうして16世紀はポルトガルの首都リスボンが世界の貿易の中心になりました。

スペインのポルトガル併合

しかしポルトガルの繁栄は長くは続きませんでした。

1580年に、ポルトガルの王朝が断絶し、スペインがポルトガルを併合しました。こうしてポルトガルの領土のほとんどはスペインのものになりました。

ポルトガルは、1640年にふたたび独立しました。そのとき、インドのゴア、インドネシアの東ティモール、中国のマカオ、ブラジルはポルトガル領として残りました。

スペインの航路開拓

1488年、ポルトガルのバルトロメウ=ディアスがアフリカ最南端の喜望峰に到達したあと・・・

スペインもポルトガルに追いつけ追いこせ!と航海に力を入れていきます。

スペイン側で一番有名なのはコロンブスです。

コロンブスのインド(ではなく新大陸)到達

コロンブス
コロンブス

コロンブスはイタリア人ですが、レコンキスタを完了させたスペイン女王イサベルの援助を受けて航海に出ました。

コロンブス
コロンブス

イサベル女王様が、私のプレゼンに興味をもってくれたのさ

コロンブスはトスカネリの主張する地球球体説、つまり「地球は丸い」ということを信じていました。

地球を一周

そこでコロンブスはポルトガルが行った「アフリカ経由の東回り」とは逆の「西回り」のルートでインドに行くことにしました。

コロンブス
コロンブス

地球が丸いなら、逆から行ってもインドに着くっしょ!

レコンキスタが完了した1492年、コロンブスは、西に進み、アメリカ大陸の近くのサンサルバドル島に着きました。そしてこの島をインドだと思いました。

このため、サンサルバトル島付近の島々は西インド諸島と呼ばれ、アメリカに暮らす先住民のことはインディオインディアン)と呼ばれています。

インディアン
インディアン

とんだ勘違い

アメリゴ=ヴェスプッチのアメリカ探検

その後スペインのアメリゴ=ヴェスプッチは、1501年にコロンブスが発見した大陸(南アメリカ)を探検し、この大陸はインドではなく「新大陸」であると主張しました。

アメリゴ=ヴェスプッチのアメリゴという名前から、新大陸はアメリカと呼ばれるようになります。

バルボアのパナマ地峡横断

船

その他、スペインでは、バルボアが1513年、パナマ地峡を横断して太平洋にたどりつきました。

パナマ地峡は、南北のアメリカ大陸をつなぐ細長い陸地の部分です。1914年、ここに運河がほられ、パナマ運河ができました。

トルデシリャス条約

スペインとポルトガルの間で1494年にトルデシリャス条約が結ばれ、アメリカ大陸での支配地域の境界線が決まりました。

トルデシリャス条約により、南米のうちブラジルがポルトガル領となり、それ以外のほとんどはスペイン領になりました。

恥ずかしながら、最近まで「トルデリシャス条約」と勘違いしていました!

「トルデシャリス条約」「トリデルシャス条約」といろんなパターンで間違いそうなので、お気を付けください・・・

「とるで~シラス!」と覚えたら、間違えにくいかも?

しらす丼
しらす丼

マゼランの世界一周

マゼランはポルトガル出身ですが、スペイン王のカルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝カール5世)の命令で世界一周にチャレンジしました。

1519年に西に向かって出発。南米大陸の南にある水路を発見し通過。

この水路はマゼラン海峡と名づけられました。

その後太平洋を横断し、1521年にフィリピンに着きました。マゼラン自身はフィリピンで亡くなりましたが、彼の部下たちが航海を続け、1522年に世界一周に成功しました。

マゼランの部下
マゼランの部下

マゼランさんの遺志をついでがんばりました…!

商業革命と価格革命

お金
お金

大航海時代のあと、ヨーロッパ・アジア・アメリカのつながりが強くなりました。これを「世界の一体化」といいます。

また、大航海時代の影響で起きたヨーロッパの商業面の変化を商業革命といいます。具体的には

  • 貿易の範囲が広がり、アメリカやアジアにまで貿易に行くようになった
  • 貿易の中心が地中海側から大西洋側の都市に移った
  • アメリカからのがたくさん入ってきたことで銀の価値が下がり、支払いに沢山の銀が必要になるインフレ状態になった(これを価格革命といいます。)

スペインによるアメリカ・アジア支配

征服

アメリカ大陸には先住民がくらしていました。

しかし次々とスペインに征服されてしまいました。

  • メソアメリカ文明のアステカ王国(今のメキシコ)は1521年にコルテス
  • アンデス文明のインカ帝国(今のペルー)は1533年にピサロに滅ぼされました。

アメリカで征服活動や植民地経営を行ったスペイン人のことを征服者コンキスタドール)といいます。

先住民や黒人奴隷の酷使

銀

16世紀にスペインはエンコミエンダ制を制定しました。エンコミエンダ制とは、先住民をキリスト教に改宗させれば、彼らを労働力として使っていいという制度でした。

また、1545年には、南アメリカ大陸でポトシ銀山が見つかります。

エンコミエンダ制のもと、スペインは先住民(インディオ)に銀山の発掘や農作業などの重労働をさせて利益を得ました。

ラス=カサス

この状態を見かねたドミニコ修道会のラス=カサスはスペイン国王カルロス1世に先住民の惨状を訴えました。しかし状況は変わらず、過酷な労働とヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病で、多くの先住民が命を落としました。

関係ないですが、ラス=カサスコロンブスの航海に同行していたことがあります。

黒人奴隷とプランテーション

農園

こうして先住民が減ってしまったあとは、先住民の代わりに、アフリカから連れてきた黒人奴隷プランテーションなどで働かせました。

プランテーションさとうきびコーヒーなどの商品作物を1種類集中で栽培する大農園のこと、もしくはそういう栽培方法のことを指します。

スペインのフィリピン領有

スペインは南米だけでなくアジアも支配しようとします。フェリペ2世の時代の1565年以降、フィリピンの支配を本格化させました。

フィリピンにマニラという町をつくって、メキシコのアカプルコとならんで貿易の拠点となりました。

スペインの絶対王政:カルロス1世

王様猫

1516年、ハプスブルク家カルロス1世がスペイン国王に即位しました。

カルロス1世はスペイン王家と神聖ローマ皇帝の両方の血を引いているため、1519年には神聖ローマ皇帝カール5世として即位しました。宗教改革のルターを追放した人です。

当時の神聖ローマ帝国についてはこちらの記事でわかります

スペインはレコンキスタの時代、王のもとで国民が団結してイスラム王朝と戦っていました。そのため、もともと王の権力が強い国でした。

それに加えて大航海時代の貿易とアフリカ支配で王室が財産を増やしたため、王が強大な権力を持つ絶対王政がやりやすくなります。

スペインの絶対王政:フェリペ2世

カルロス1世の次にスペイン国王になったフェリペ2世はアメリカ大陸で得たによって増やした財産で絶対王政のピークの時代をむかえました。

この時代の出来事をまとめます。

イギリス・メアリ1世との結婚

フェリペ2世は英王メアリ1世と結婚し、イギリスにカトリックを強制しました。

オランダ独立戦争

ネーデルラント植民地にもカトリックを強制したため、1568年にオランダ独立戦争が起こりました。(1609年に休戦条約が結ばれ、オランダ北部は独立しました。)

レパントの海戦

1571年のレパントの海戦で、ローマ教皇やヴェネツィアと手を組んでオスマン帝国を破りました。

フィリピンの植民地化

1571年、東南アジアのフィリピンに、現在の首都であるマニラをつくりました。
「フィリピン」というのは国王の名前「フェリペ」に由来しています。

ポルトガル併合

1580年からポルトガル併合を行いました。これでスペインはアジア、アメリカの世界各地に領土を持つようになったため、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれました。

スペインの国力低下

繁栄したスペインですが、だんだんと状況が悪くなっていきます。

  • 1588年、「無敵艦隊」(アルマダ)と呼ばれたスペイン艦隊がイギリスに敗北しました。
  • アメリカ大陸の銀の埋蔵量が底をつき、財政も悪化し始めました。

こうしてフェリペ2世の在位中にスペイン絶対王政は最盛期と終わりを迎えました。はやっ!

この後のアジア進出は、スペインから独立したオランダが台頭します。

おわりに

年代順、年表形式で主要な出来事をならべました。

  • 13世紀末  マルコ=ポーロが『世界の記述』(「東方見聞録」)を著す
  • 15世紀前半 ポルトガル「航海王子」エンリケが探検事業を推進
  • 1488 ポルトガルのバルトロメウ=ディアス、アフリカ最南端の喜望峰に到達
  • 1492  スペイン王国ナスル朝を滅ぼし、レコンキスタが完了
  • 1492 スペインの支援を受けたコロンブス新大陸(西インド諸島)を発見
  • 1494 トルデシリャス条約で、南米大陸のうちブラジルポルトガル領他はスペイン領と決定
    (ただしブラジルが発見されるのはこの後。)
  • 1498 ポルトガルのバスコ・ダ・ガマインド航路を開拓しカリカットに到達
  • 1500 ポルトガルのカブラルが漂流し、偶然ブラジルへ到達。
  • 1501 スペインのアメリゴ=ヴェスプッチがコロンブスが発見した大陸(南アメリカ)を探検。
    インドではない「新大陸」であると結論付け、新大陸がアメリカと呼ばれるようになる
  • 1510 ポルトガルがインドのゴアを占領
  • 1513 スペインのバルボアパナマ地峡を横断して太平洋に到達
  • 1519 マゼランが世界一周のために出航(~1522)
  • 1521~ スペインのラテンアメリカ征服
    メソアメリカ文明のアステカ王国(今のメキシコ)は1521年にスペインコルテスに、
    アンデス文明インカ帝国(今のペルー)は1533年にスペインピサロによって滅亡
  • 1564 スペイン、フィリピンの領有を宣言
  • 1568~1609 オランダ独立戦争 (1609年に事実上の独立)
  • 1571 レパントの海戦 スペイン・ローマ教皇やヴェネツィアの連合軍がオスマン帝国に勝利 
  • 1580~ スペインがポルトガルを併合
  • 1588 「無敵艦隊」(アルマダ)と呼ばれたスペイン艦隊がエリザベス1世時代のイギリスに敗北
  • 1609 オランダが事実上の独立。(1648年のウェストファリア条約で国際的に承認される)

大航海時代ポルトガルスペインが中心となり、アジアやアメリカへ侵出していきました。

エンリケ航海王子がポルトガルの航海を奨励し、バルトロメウ=ディアスはアフリカの喜望峰ヴァスコ=ダ=ガマは、インドカリカットに着きました。

スペイン女王イサベルの援助を受けたコロンブスはインドと間違えて新大陸アメリカに到達しました。

アメリカの先住民を酷使して財を成したスペイン王家は絶対王政の体制を確立しました。

しかし貿易や海外侵出についてはこの後、スペインから独立したオランダが台頭してきます。

また、この先のスペイン・ポルトガルについてはこちらです

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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