ここでは、高校世界史の範囲を中心にした中央アジアの民族の歴史について解説していきます。
中央アジアにイスラム王朝がつくられるまでの、わりと古代の歴史になります。
・この記事は高校世界史の参考書「世界史用語集」などを参考にしています。
頻度4以上(赤文字で記載)の用語はなるべく入れています。
モンゴル高原の遊牧民
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遊牧民とは、農耕民族と違い、家畜を育てながら、季節ごとに移動しながら生活する人たちです。
ユーラシア大陸の中央部を中央アジア(内陸アジア)といいます。中央アジアには草原地帯が多く、そこでは遊牧民たちが多く暮らしていました。
遊牧民は日常的に馬に乗っていたので、馬の扱いが上手でした。そのため馬に乗って攻撃をする騎馬遊牧民があらわれ、遊牧国家という国をつくるようになりました。
草原の道(ステップ=ロード)
南ロシアの草原地帯とモンゴル高原、中国を東西につなぐ草原の道(ステップ=ロード)という交易路があります。多くの騎馬遊牧民がここに遊牧国家をつくりました。
代表的な騎馬遊牧民に
- スキタイ
- 匈奴(きょうど)
- 烏孫(うそん)
- 月氏(げっし)
- 突厥(とっけつ)
- ウイグル
- モンゴル
などの民族がいます。それぞれの民族について説明していきます。
スキタイ
スキタイは紀元前7~前3世紀のイラン系の騎馬遊牧民です。高度な金属文化であるスキタイ文化をもっていました。動物をデザインした、金や銀の貴金属製の道具が多くつくられました。
匈奴・烏孫・月氏
匈奴は前3世紀末からモンゴル高原にいた民族で、たびたび中国の脅威となりました。
秦の始皇帝は匈奴の攻撃を防ぐために長城(万里の長城)を修築しました。
匈奴の代々の君主は単于(ぜんう)とよばれ、冒頓単于(ぼくとつぜんう)の時代に匈奴は最盛期をむかえ、中国・前漢の創始者・劉邦も苦戦しました。
烏孫・月氏も同じ時代の騎馬遊牧民です。漢の武帝が「匈奴を倒すために協力してほしい!」と使者をおくりましたが断られました。
匈奴は、五胡十六国時代に北部中国を支配した5つの異民族「五胡」の一つとしても知られています。しかし北部中国は5世紀前半に鮮卑族の北魏という国に統一されました。
突厥
突厥は6世紀を中心にモンゴル高原で活動したトルコ系の遊牧民です。同じ時代にはササン朝、隋・唐などの国があります。突厥文字という独自の文字をつくりました。
8世紀に同じトルコ系遊牧民のウイグルに滅ぼされました。
トルキスタン
中央アジア東部(現在の中国の新疆ウイグル自治区)は、昔の中国では西域といわれていました。
9世紀ごろ、トルコ系騎馬遊牧民のウイグル人が定着し、東トルキスタンと言われるようになりました。
いっぽう、現在のウズベキスタン・カザフスタンなどの6か国にわたる地域は西トルキスタンといわれます。
タリム盆地
東トルキスタンにはタリム盆地という大きな盆地があります。盆地のほとんどがタクラマカン砂漠という砂漠です。
砂漠には、地下水が湧き出て、農耕や居住ができる場所がポツポツとあります。その場所をオアシスといいます。オアシスには、ソグド人などが都市を作りました。
オアシスの道・シルク=ロード(絹の道)
中央アジアや西アジアの旅商人は、ラクダを連れた集団で、砂漠に点在するオアシスをたどって中国などの目的地に向かいました。この交易を隊商交易といいます。また、そのルート(交易路)をオアシスの道(シルク=ロード・絹の道)といいます。
オアシスの道や草原の道(ステップ=ロード)、アフリカ・中東・中国のあいだを船で移動するための航路「海の道」をまとめて「シルク=ロード(絹の道)」といいます。
ソグド人
ソグド人とは、もともと中央アジアのソグディアナという地域に住んでいたイラン系の人々です。ソグド商人という旅商人が多く、マニ教や仏教などの宗教を中国方面に伝えたり、中国でつくられた絹をヨーロッパや中東に運びました。
ウイグル
ウイグルとは、8~9世紀にモンゴル高原を支配したトルコ系の騎馬遊牧民と、彼らがつくった国のことです。マニ教を国教としました。
ソグド人が作ったソグド文字をもとにウイグル文字を作りました。また、ウイグル文字は満州文字、モンゴル文字のもとになりました。
ウイグルは遊牧民のキルギスに滅ぼされました。
中央アジアにはしだいにイスラム教がひろまり、イスラム王朝がつくられるようになります。
モンゴル帝国
モンゴル高原の遊牧民たちは13世紀初め、チンギス=ハンがさまざまな部族をまとめあげてモンゴル帝国となり、中国を攻撃して支配しました。
おわりに
以上、中央アジアの民族について解説しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。