イスラム教が生まれた中東と、その後イスラム教の国ができたアフリカ、アジアの地域を「イスラム世界」として、その歴史を高校世界史の範囲をメインに説明していきます。1回目の今回は
- イスラム教の創始者であるムハンマド(モハメット)
- ムハンマドの死後の正統カリフ時代
- ウマイヤ朝
- アッバース朝
などについて解説していきます。
ムハンマド
イスラーム教をはじめたムハンマドは570年頃、メッカの大商人のクライシュ族の家に生まれました。
彼は40歳ごろに神のお告げを聞いたことできっかけで布教をはじめました。その布教内容がイスラーム教です。
しかしメッカでイスラーム教が迫害されたため、ムハンマドたちは622年にメッカからメディナという所へ移住しました。
この出来事をヒジュラ(聖遷)といいます。
メディナでは、信者たちの共同体(町や集団のようなもの)であるウンマがつくられました。
イスラーム教は信者が増え、その勢いで630年にメッカを征服しました。
そしてメッカのカーバ神殿をイスラーム教の最も重要な聖地としました。
こうしてイスラーム勢力がアラビア半島を統一し、ムハンマドは632年にメディナで病死しました。
イスラーム教について
イスラーム教の唯一の神様はアッラーです。アッラーの言葉を直接受け取ることが出来るのはムハンマドだけであり、ムハンマドは最後の預言者(神の言葉を預かり、みんなに伝える人)とされています。
イスラーム教では、
- モーセやノアなどの旧約聖書の預言者たち
- 新約聖書のイエス・キリスト
も歴代の預言者として認めています。
偶像・聖者崇拝の禁止といって、アッラーを絵や像にすることは禁止されています。
コーラン・シャリーア・ハディース
イスラーム教のだいじな書物に
- ムハンマドが伝えた神の言葉をまとめた聖典『コーラン(クルアーン)』
- 9世紀にムハンマドの言葉や行動をまとめた『ハディース』
があります。
そして『コーラン』や『ハディース』などをもとに作られた、イスラーム教の決まりをシャリーア(イスラーム法)といいます。
六信五行
イスラーム教の信者をムスリムとよびます。
ムスリムが
- 信仰すべき六つの対象
- するべき五つの行い
のことをまとめて六信五行といいます。
五行のひとつに、貧しい人へ寄付をする「喜捨」があります。喜捨の考えにもとづいてワクフという財産寄進制度が生まれ、モスク(礼拝施設)やマドラサ(学校)の運営費につかわれました。
正統カリフ時代
632年にムハンマドがなくなった後、イスラーム国家の指導者として、ムハンマドの「代理人」という意味のカリフという役職ができました。
初代のアブー=バクルから4代目のアリーまでが、選挙で選ばれてカリフをつとめました。
この4人のカリフの時代を正統カリフ時代といいます。
正統カリフ時代には、ジハード(聖戦)という、異教徒への攻撃をさかんに行い、大きく領土を広げました。
イスラーム勢力は
- 642年のニハーヴァンドの戦いで東の大国ササン朝ペルシアを滅ぼしました。
- 西の大国ビザンツ帝国から、エジプト・シリアを奪いました。
- 征服した各地にミスルと呼ばれる軍営都市(軍事拠点の町)をつくりました。
ウマイヤ朝
4代目カリフのアリーの死後、ムアーウィヤがウマイヤ朝(661~750)を建国しました。ダマスクスが都です。
正統カリフ時代には選挙でカリフを選んでいましたが、ムアーウィヤはカリフの地位を自分の子孫に世襲させました。
ウマイヤ朝は正統カリフ時代と同じく、異教徒への攻撃を行い、領土を広げました。
- 711年に西ゴート王国を征服し、イベリア半島を支配しました。
- 732年にはトゥール・ポワティエ間の戦いでフランク王国と戦いました。
ジズヤとハラージュ
ウマイヤ朝の税にはジズヤ(人頭税)とハラージュ(地租)がありました。
ハラージュは持っている土地にかかる税です。
ジズヤは、非イスラーム教徒に課される税です。本来はイスラーム教に改宗すれば払わなくていいはずの税金です。
しかしウマイヤ朝では、アラブ人(アラビア半島にすんでいる人)はどちらの税金も免除でした。
一方、イラン人やエジプト人などの非アラブ人はジズヤ(人頭税)とハラージュ(地租)の両方をとられました。しかも、イスラーム教に改宗した後もジズヤを払う必要がありました。
イスラム教では「イスラム教の信者は、民族の違いに関係なく平等です」と説いていたのですが、ウマイヤ朝ではアラブ人が優遇されていました。
非アラブ人で
- イスラム教を信仰していない人をジンミー
- イスラム教に改宗した人をマワーリー
といいます。
アッバース朝
750年、アブー=アルアッバースという人が、ウマイヤ朝でクーデターを起こし、アッバース朝を建国しました。バグダードという町をつくり、そこを都にしました。
アッバース朝について
- アッバース朝はウマイヤ朝とは違い、民族に関係なく、全てのムスリムにハラージュ(地租)を、非ムスリムにはジズヤ(人頭税)とハラージュの両方を課しました。
- ウマイヤ朝時代の領土とほぼ同じですが、イベリア半島は失っています。
- 751年、アッバース朝は、国境を接する唐王朝とタラス河畔の戦いを行いました。この時に捕虜になった唐の兵士によって、製紙法が西方の世界に伝わりました。
- アッバース朝は第5代カリフハールーン=アッラシードの時代に最盛期を迎えました。
タラス河畔の戦いのあった当時、アッバース朝も唐もめちゃくちゃ広い国だったので、国境を接していました。
アッバース朝の衰退
10世紀に入ると、軍隊の司令官・総督であるアミールが各地で好き勝手をはじめて
- ブワイフ朝
- 中央アジアのサーマーン朝
- エジプトのファーティマ朝
などが実質的に独立しました。
カリフは実権のない存在になっていき、1258年、モンゴル帝国のフラグの攻撃で、アッバース朝は完全に滅びました。
イスラームの社会・文化
施設
イスラーム世界では、
- あらゆる都市にモスク(礼拝施設)とミナレット(光塔)がセットで建てられました。
- マドラサ(学院)が作られ、ウラマーと呼ばれるイスラーム法学者・知識人が養成されました。
- 市場(スーク、バザール)や、都市を訪れる人のための宿泊施設(キャラヴァンサライ)も作られました。
真ん中の丸い屋根の建物がモスク、4本ある細いのがミナレットです。ミナレットの本数は決まっていません。
文学
フィルドゥシーが書いた歴史や英雄の詩『シャー=ナーメ』
ウマル=ハイヤームが書いた『四行詩集』
『千夜一夜物語』(『アラビアン=ナイト』)これは、特定の作者はいません。
歴史・地理学
イブン=ハルドゥーンが書いた『世界史序説』
14世紀の旅行家イブン=バットゥータが旅先で見たものをまとめた『三大陸周遊記』
哲学・神学
12世紀末、イブン=ルシュド(ラテン語名でアヴェロエス)は古代ギリシアの哲学者アリストテレスの著作に注釈(解説)をつけました。
11世紀末、セルジューク朝のガザーリーという人は修行で神アッラーとの一体感を求めようとするスーフィズム(神秘主義思想)の研究をしました。
神秘主義教団の一派は、1501年にイランにサファヴィー朝という国をつくりました。
科学
11世紀前半の医学者イブン=シーナー(ラテン語名でアヴィケンナ)は『医学典範』を著しました。
フワーリズミーは代数学を発展させました。
芸術
アラベスクという、植物の茎などをモチーフにした幾何学的な文様が工芸品や建築に使われました。
細密画(ミニアチュール)という精密な挿し絵・絵画が発展しました。
おわりに
ムハンマドによりイスラム教が作られ、国を作るまでの一大勢力になりました。
正統カリフ時代を経て、ウマイヤ朝の時代にはスペイン(イベリア半島)・アフリカ・中東・イランまでを広く支配しました。
ウマイヤ朝は税制の不平等のせいかクーデターで倒され、アッバース朝にとってかわられます。
しかしアッバース朝の衰退期には各地でイスラム王朝が独立しました。
次回は中東以外でおこったイスラム王朝についてまとめます。