高校世界史の範囲を中心にしたインドの歴史について解説していきます。
今回は第1回目。古代インドの歴史である、インダス文明からヴァルダナ朝までを、ある程度詳しく、かつ簡潔に説明していきます。
※この記事はお試しでタメ語の文体で書いています。
・この記事は高校世界史の参考書「世界史用語集」などを参考にしています。
頻度4以上(赤文字で記載)の用語はなるべく入れています。
インダス文明と遺跡
最初のインドの古い文明ってのが、インダス文明だよ。
この文明の特徴はこうだよ!
- 紀元前2600年から紀元前1800年ごろまで続いたんだ。
- インドの西側にあるインダス川の周りにあったんだよ。
- 先住民のドラヴィダ系民族が作ったんだ。
- インダス文字が使われてたんだけど、今でも解読できてないんだよ。
有名な遺跡は、インダス川下流のモエンジョ=ダーロ(モヘンジョ・ダロ)と、おなじくインダス川中流のパンジャーブ地方にあるハラッパーだよ。
インダス文明の遺跡からは、インダス文字と動物の絵が刻まれた印章(ハンコ)が出土したんだよ。
アーリヤ人(アーリア人)の移住
![インドの地図](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/インド地図_s.png)
インダス文明が衰退してから、鉄器を使ってたアーリヤ人たちが北からやってきたんだ。最初はインダス川流域のパンジャーブに住んでたんだけど、そのあと、紀元前1000年頃にはガンジス川のあたりに引っ越して、農耕生活を始めたんだよ。
ちなみに、インダス川はインドの西にあって、ガンジス川は東側にあるんだ。アーリヤ人ってのは、行動範囲がめちゃめちゃ広かったんだね。
カースト制度とバラモン教
![ヒエラルキー](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/07/同世代カーストのイラスト(男性)-300x278.png)
アーリヤ人の社会には、ヴァルナ制っていう身分制度があって、上から順に、神官のバラモン、戦士のクシャトリヤ、庶民(商人が多い)のヴァイシャ、隷属民のシュードラがいたんだ。
でも、その下に、ヴァルナに含まれない不可触民っていうのがいて、めっちゃ差別されてたんだよ。
ヴァルナ制度の中でも、世襲の職業によって細かく分かれたジャーティっていう身分があって、ヴァルナ・ジャーティをまとめてカースト制度っていうんだよ。
バラモン教
バラモンたちはバラモン教の宗教儀式を行う人たちだよ。
バラモン教ってのは、アーリヤ人が作った宗教。聖典はヴェーダっていって、一番古いのが『リグ=ヴェーダ』っていうよ。
ウパニシャッド哲学・仏教・ジャイナ教
アーリヤ人は、ガンジス川流域にいくつもの都市国家をたてたんだ。
紀元前6世紀には、特にマガダ国とコーサラ国が都市国家の中で強力だったんだ。
そして、あとで紹介する仏教とジャイナ教は、紀元前5世紀ごろにマガダ国で生まれたんだ。
この時代は都市国家同士の戦争が絶えなくて、コーサラ国も後にマガダ国に滅ぼされたんだ。
戦争では、クシャトリヤが戦い、ヴァイシャが物資を調達してがんばったけど、バラモンは安全なところで祈ってるだけだったんだ。
そのため、バラモンやバラモン教への批判が高まり、ウパニシャッド哲学、仏教、ジャイナ教などの新しい考え方や宗教が生まれたんだ。
ウパニシャッド哲学
インドでは、ヴェーダの一つである「ウパニシャッド(奥義書)」に基づくウパニシャッド哲学が生まれたんだ。
これは、バラモン教が形式的になってきていることを批判し、「もっと宗教の内容や真理について深く考えようぜ!」という考え方なんだ。
ウパニシャッド哲学では、輪廻転生が説かれていたよ。 それは、「今の行い(業もしくはカルマっていうよ)で来世に何に生まれ変わるかが決まり、魂は生と死をずっと繰り返す」っていう考え方なんだ。
ブッダによる仏教
![釈迦・仏陀(ブッダ)](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/釈迦・仏陀ブッダ-150x150.png)
仏教はガウタマ=シッダールタ(釈迦)が始めたんだ。ガウタマ=シッダールタの尊称をブッダ(仏陀)と呼ぶんだよ。尊称ってのは、尊敬を込めた別の呼び名のこと。
仏教はカースト制度を否定して、「人間は平等だ!」と主張したんだ。
上座部仏教と大乗仏教
後に、仏教は「上座部仏教と大乗仏教」に分かれるよ。
上座部仏教は個人が修行して、その人が悟りを開くことを重視してるんだ。マウリヤ朝の時代に生まれて、スリランカ(セイロン島)をはじめ、東南アジアに広まったんだ。
悟りを開いて、輪廻転生から抜け出して自由になることを仏教用語で解脱というよ。
上座部仏教の後にできた大乗仏教は、みんなを救うことを目的にした菩薩信仰なんだ。大乗仏教はクシャーナ朝の時代に始まって、中央アジアからチベットを経て中国、朝鮮、日本に広まったんだ。
その後、しばらくはインドが仏教の本場みたいになって、中国などの外国からたくさんの仏教系留学僧がやってきたんだ。フランス料理を極めたい人がフランスへ行くような感じだね、たぶん。
ヴァルダマーナによるジャイナ教
ジャイナ教はヴァルダマーナが始めた宗教なんだ。ヴァルダマーナの尊称をマハーヴィーラっていうよ。仏教と同じく、ジャイナ教もカースト制度を否定したんだ。
そして、ジャイナ教は禁欲や苦行、そして極端な不殺生を説いたんだ。不殺生を説くジャイナ教は、戦士であるクシャトリヤからは不評だったけど、商人の多いヴァイシャからは支持されたんだよ。
インド統一王朝の誕生
![アレクサンドロス大王](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/07/アレクサンダー大王-150x150.png)
紀元前330年ごろ、アレクサンドロス大王が東方遠征でインドに攻めてきたのをきっかけに、インドの人たちは「外からの敵にそなえて、インド人同士で団結しよう!そのためにインドを統一しようぜ!」って強く思うようになったんだ。
そしたら、マウリヤ朝っていうのが北インドを統一したんだ。(南インドの一部は別の国だよ。)そのあとは、クシャーナ朝、グプタ朝、そしてヴァルダナ朝っていうのが続いたんだって。
マウリヤ朝
紀元前4世紀に、インドを初めて統一したマウリヤ朝の建国者はチャンドラグプタって人で、都はパータリプトラってところだよ。
前3世紀のアショーカ王の時代には、最大領土となって全盛期を迎えたんだ。
アショーカ王はダルマ(法)に基づく政治をして、仏教を保護したんだ。そのために、仏教の教えを刻んだ磨崖碑や石柱碑を各地に作ったり、ストゥーパって仏塔をつくって、シャカの遺骨を納めたりしたんだよ。
それに、第三回の仏典の結集や、スリランカ(セイロン島)での仏教布教もしてたんだ。
仏典の結集ってのは、仏教の教典を集めて整理する事業のことだよ。
仏像をつくったクシャーナ朝
1~3世紀のクシャーナ朝は、マウリヤ朝とは違って、インドの西側に位置してた国だったんだ。
同じ頃、インドの中部にはドラヴィダ系の人のサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)があったんだ。
ほかに、インドの南部にはタミル人の国であるチョーラ朝(前3~後3世紀、9~13世紀)があったんだ。この国は一度衰退したけど、9世紀になって再興されたんだ。
クシャーナ朝の全盛期の王様はカニシカ王っていうんだよ。彼は第四回の仏典結集を行ったことで有名なんだ。カニシカ王の時代にガンダーラ美術てのが発達したんだ。ガンダーラ美術では、ヘレニズム文化のギリシャの彫像などの影響を受けて、はじめて仏像が作られたんだよ。
クシャーナ朝は3世紀にイラン地方にあったササン朝ペルシアによって衰退していったんだ。
外国の僧が来たグプタ朝
クシャーナ朝の後、4~6世紀にはグプタ朝がインドを支配したんだ。
4世紀末から5世紀初めにかけてこの国を治めていたチャンドラグプタ2世の時代が全盛期だったんだ。
グプタ朝では、たくさんの仏像やお寺が建てられて、外国からのお坊さんたちも仏教を学びに来たんだよ。
中国の南北朝時代の国、東晋から来た法顕は、グプタ朝で仏教を学んで『仏国記』という書物を書いたんだ。また、ナーランダー僧院ではたくさんの僧侶たちが仏教を学んでいたんだ。この僧院は次のヴァルダナ朝の時代まで栄え、そのころには中国から玄奘や義浄ってお坊さんが仏教を学びにインドに来たんだよ。
グプタ様式の石窟寺院
この時代には、石をくりぬいて仏像やお寺の形にした「石窟寺院」が建てられたんだ。その中でも有名なのがアジャンター石窟寺院だね。
アジャンター石窟寺院のような純インドっぽい芸術・建築様式を、グプタ様式というよ。
サンスクリット文学
グプタ朝の時代には、いろんな文学作品が生まれたんだ。
4世紀頃には、『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』という2大叙事詩が完成したんだよ。
5世紀には、詩人で劇作家のカーリダーサが『シャクンタラー』という劇の脚本のようなものを書いたんだ。
上の3作品のように、古代インドで使われたサンスクリット語で書かれた文学作品を、サンスクリット文学と呼ぶんだ。
ゼロの概念
いつ頃にできたかハッキリしてないけど、ゼロの概念はインドで生まれたんだよ。そのあと、イスラム圏を経由してヨーロッパに広まったんだ。
マウリヤ朝・クシャーナ朝・グプタ朝の覚え方
マウリヤ朝・クシャーナ朝・グプタ朝の順番と、王の名前を覚えるための5・7・5なゴロを考えたよ!
舞うアシカ カニの串揚げ 食ったから
- 舞うアシカ→マウリヤ朝とアショーカ王
- カニの串揚げ→カニシカ王とクシャーナ朝
- 食ったから→グプタ朝
で連想してね。このイラストは、テンション高く舞い踊るアシカたちが「さっき食ったカニの串揚げ、うまかったよねー」と話し合っている図です!
めっちゃ余談だけど、「まいたけ」の語源は「高価なきのこで、山で見つけたら舞い踊るほどうれしいから」なんだって。諸説あるよ!
![舞うアシカ](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/舞うアシカ.png)
ヴァルダナ朝
![玄奘(三蔵法師)](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/三蔵法師(西遊記)-269x300.png)
グプタ朝が滅んだ後、7世紀にはハルシャ王がヴァルダナ朝を建国したんだ。都はカナウジだよ。
ヴァルダナ朝には、中国(唐)から玄奘や義浄という僧が仏教の勉強にやってきたんだ。
玄奘はのちに『大唐西域記』を書いたよ。義浄はインドからの帰り道にインドネシアのスマトラ島に立ち寄って、そこで『南海寄帰内法伝』を書いたんだ。
でも、この時期になると、インド国内では仏教よりもヒンドゥー教のほうが主流になっていったんだよ。
ヒンドゥー教
![シヴァ神](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/シヴァ-150x150.png)
現在、インド国内で最も信者数が多いのはヒンドゥー教だよ。
ヒンドゥー教は、バラモン教と各地の民間信仰があわさってできた宗教なんだ。
民間信仰なので、特定の創始者や、創始者の言動を記した経典は存在しないんだ。
ヒンドゥー教には、宇宙を創造したブラフマー、破壊と舞踏の神であるシヴァ、そして世界を維持するヴィシュヌなど、さまざまな神々がいるよ。
ヒンドゥー教で有名な書物に『マヌ法典』てのがあって、これには人生の指針とかが載ってるんだよ。
サティー(寡婦殉死)
インドでは「サティー」という昔からのしきたりがあったんだ。
それはね、夫が亡くなったら妻が火の中に身を投げて後を追うっていうもので、昔はそれが立派なことだと思われてたんだよ。
でもね、1829年にそのしきたりは禁止されたんだ。それでも、今でもたまにそのようなことがあるんだって。
ちなみに、「未亡人」という言葉もね、元々は「夫と一緒に死ぬべきだけど、まだ生きてる人」という感じなんだ。こわいねー。
ヴァルダナ朝以後
ヴァルダナ朝は、初代のハルシャ王が亡くなった後、急速に衰退したんだ。
それからのインド北部は、小さな国々に分かれて争いが絶えなくなったんだ。国王たちは「王子」という意味のラージプートを名乗るようになったんだよ。
アフガニスタンからインドに領土をひろげたゴール朝(1148頃~1215)やその後インドにたてられた奴隷王朝(1206~1290)によって、ラージプートたちの時代は終わりを迎えたんだ。
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おわりに
古代インドの歴史は、インダス文明からアーリヤ人の移住、十六大国時代、マウリヤ朝、クシャーナ朝、グプタ朝、そしてヴァルダナ朝へと移り変わってきました。この時代にウパニシャッド哲学、仏教、ジャイナ教が生まれ、グプタ朝ではガンダーラ美術がおこり、仏像が作られました。
▼この記事のつづきはこちら
![](https://yurumestudy.com/wp-content/uploads/2022/08/islam3-160x90.jpg)