世界史中国編(1)古代文明~秦の時代について

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中国と周辺国の歴史

高校世界史の範囲を中心にした中国の歴史について解説していきます。今回は1回目です。

古代中国の文明から秦の始皇帝の時代までを説明します。

・この記事は高校世界史の参考書「世界史用語集」などを参考にしています。
頻度4以上赤文字で記載)の用語はなるべく入れています。

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黄河と長江の文明

中国の古代文明は

  • 北の黄河
  • 南の長江

という2つの大きな川のまわりに繁栄しました。

仰韶文化と竜山文化

中国の文明については

  • 黄河では、まず仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)、その後竜山文化が生まれました。
  • 仰韶文化では、顔料で模様を描いた彩文土器彩陶)がつくられました。
  • 竜山文化では、薄手でツヤのある黒陶や、日常で使う厚手の灰陶という土器がつくられました。
  • 竜山文化の末期になると(ゆう)と呼ばれる集落がつくられました。
  • 長江では河姆渡遺跡(かぼといせき)がみつかりました。

夏王朝と殷王朝

中国最古の伝説上の王朝をといいます。

存在が確認できるなかで、中国最古といわれるのが(いん)(商)です。(前16~11世紀)

殷については

  • 殷の都の遺跡である殷墟がみつかりました。
  • 青銅器を使っていました。
  • 王が占いで神様の意向をたずねながら政治をする神権政治が行われました。
  • 後の漢字のもとになる甲骨文字が使われ、亀の甲羅や動物の骨に刻まれていました。

殷は、に敗れて滅亡しました。

易姓革命

中国では王位を奪うことをを正当化するための易姓革命(えきせいかくめい)という考え方があります。

王は天の神様の意向(天命)で王の座につく。

そして古い王が悪い政治をするようになると、天の神様は意向を変えて(天命を変える=革命)、王のを変える(易姓)。

天の意志によって誰かが古い王をたおして新しい王朝をたて、王の姓が変わる、ということです。

古い王は天に見放されたんだから、倒されても仕方ないよね、という考え方です。

新しい王様
新しい王様

わしが王様になったのは天のご意思なんだから、文句は言わせんぞ!

前からなんとなくあったこの考え方をハッキリと理論にしたのが、あとで登場する儒家孟子だといわれています。

周(西周)は、黄河が枝分かれした渭水(いすい)の流域にある国で、都は鎬京(こうけい)です。

前11世紀ごろ、を滅ぼして華北(中国の北部)を統一しました。

周の封建制とは

西周は血縁関係を重視した封建制という統治体制をとりました。

封建制とは、王が自分の一族などを世襲の諸侯にして、封土とよばれる領地を与え、そこの統治を任せる制度です。その代わり諸侯は王に貢ぎ物を送ったり、王が戦争をするときに加勢に行く義務がありました。

さらに、諸侯に仕えた家臣たちの中では、卿(けい)・大夫(たいふ)・士という身分がありました。
大夫より上で、大夫の中で特に地位の高い人たちをとよんでいました。

西周から東周へ

逃げる

紀元前770年、異民族の侵入により王族は東へ逃げ、都を鎬京から洛邑に移しました。

洛邑はのちに洛陽と改名して、後漢、三国志の時代の、さらにその後の北魏(一時期だけ)などの都にもなりました。

都をうつす前を西周、後を東周と分けています。

マンガ「封神演義」でも周の領主が「西伯侯」と呼ばれています。

「もともと周って西にあったんだな」となんとなくイメージをもってもらえるといいと思います。

春秋・戦国時代

春秋・戦国時代とは、紀元前770年に洛邑に都を移してから、紀元前220年ごろにが中国を統一するまでの期間を指します。

前半が春秋時代、後半が戦国時代です。

春秋時代の名前は、歴史書の「春秋」に由来しています。この書に記録された時代なので「春秋時代」とよびます。

春秋時代には諸侯たちが、異民族から東周の王を助けようとしました。

諸侯たちの中でもとくに有力だったものを覇者といいます。覇者は何人かいますが、なかでも

  • 桓公
  • 文公

が有名です。

紀元前403年に韓・魏・趙の3か国に分裂します。これ以降を戦国時代といいます。このころの有力者たちは東周の王をもちあげることをやめ、「我こそが天下を取ろう」とする実力主義、戦乱の時代になりました。

春秋時代の有力者
春秋時代の有力者

周の王の下で、のし上がっていくぞ!

戦国時代の有力者
戦国時代の有力者

周の王とかどうでもいい!俺がナンバーワンになるんだ!

戦国時代に活躍したの七つの国を「戦国の七雄」といいます。

ちなみに私は「せい・そ(清楚)ツバメ(燕)ぎ・ちょう(議長)かん・しん(感心)した」というフレーズで覚えています。

議長
議長

清楚なツバメじゃのう、感心するわ

春秋・戦国時代の書物

文学

春秋・戦国時代に書かれた文学、歴史関係の書物についてまとめました。

  • 春秋時代の歴史をまとめた「春秋」:儒教の大事な経典でもあります
  • 戦国時代につくられた中国最古の歌集「詩経」:これも儒教の経典になっています
  • 戦国時代の詩人屈原などの詩が集められた「楚辞

鉄製農具・貨幣の普及

戦国時代の頃、牛を使って土地をたがやす牛耕や、木製農具より丈夫な鉄製農具が普及し、余るほどたくさんの作物がとれるようになりました。そこで当時の農家の人たちは余った作物を売り、お金に換えるようになりました。
当時のお金は青銅でつくられたので青銅貨幣といいます。

代表的な青銅貨幣は

  • 刀のかたちの刀銭
  • 農具の刃先をかたどった布銭
  • 中央に穴が開いた円銭環銭
  • 小粒な蟻鼻銭

です。

布銭の形のモデルになった農具とはなんなのか調べたのですが

  • スコップ・シャベルに似たかたちの鋤(すき)がモデル
  • 中国語の鋤(すき)とはクワのことなので、クワがモデル

と2通りの答えがみつかり、はっきりとしませんでした。

諸子百家

春秋・戦国時代の中国では、新しい思想がつぎつぎ登場しました。新しい思想・思想家たちをまとめて諸子百家といいます。

新しい思想について説明していきます。

儒家

儒家とは孔子という人がつくった思想家グループで、他人への思いやりであるを重視しました。
儒家は「親や年上の人、主君などをうやまい、服従するべきだ」と説いています。
孔子の考えは『論語』という書物に書かれています。

孔子以外に有名な儒学者は、

  • 「人はもともと善人」という性善説や、易姓革命(えきせいかくめい)を主張した孟子
  • 「人はもともと悪人」という性悪説を主張した荀子

です。

墨家

墨家とは、墨子がつくった思想家グループです。

兼愛(=無差別の愛)と、他国への侵攻を否定する非攻を唱え、目上かどうかで態度を変える儒家の考え方を批判しました。

道家

道家の代表的な思想家に老子荘子がいます。

道家は、儒家の教えを「わざとらしい」と批判し、「人間は無為自然(作為がなく、自然のまま)に生きるべきだ」と主張しました。

兵家

兵家の代表的な思想家は孫子です。戦いにおける戦略についてがメインですが、国の運営の仕方なども説いています。

縦横家

縦横家とは、他国とどのような外交をするべきかを説いた人たちです。代表的な人は蘇秦張儀です。

法家

法家の代表的な思想家である韓非はもともと儒家の荀子の弟子で、性悪説に影響を受けました。

「人の本性は悪なので、ルールによって行動を制限すべき」と考えて、成文法による国の統治を主張しました。この考え方を法治主義といいます。

その他、代表的な法家は秦の商鞅(しょうおう)、李斯(りし)です。

その他の諸子百家

  • 実際にあるモノ(実体)と、モノに付けられた名前や概念との関係を徹底的に考えた名家
  • すべての物を陰と陽に分けて様々な現象を説明した陰陽家
  • 農業の重要性を説いた農家

などがあります。

秦の始皇帝による中国統一

始皇帝

漫画「キングダム」の舞台であるです。

秦は戦国の七雄の一つで、都は咸陽です。

秦は、という王様の時代の前221年に中国を初めて統一しました。

は、はじめて「皇帝」という称号を使用したので始皇帝とも呼ばれます。

始皇帝は、急激に厳しい改革を行いました。始皇帝の政治や改革について説明していきます。

郡県制

始皇帝は、全国をに分け、その下にをおき、皇帝が任命した役人を中央から派遣して治めさせる郡県制を実施しました。

すべて国の直轄地として、皇帝が中国全土を直接管理する制度です。

焚書・坑儒

焚書

始皇帝は自らの統治に都合の悪い書物を焼き、皇帝に批判的な儒家を生き埋めにしました。この出来事を焚書・坑儒といいます。

その他、始皇帝は

  • 半両銭という通貨を中国初の統一通貨にしました。
  • モンゴル高原にいた異民族の匈奴から領土を守るために長城万里の長城)を修築しました。
  • 匈奴に対して遠征軍を送りました。
  • ベトナムにも遠征して南海郡を設置しました。
万里の長城。今あるものは明の時代につくられたものです

兵馬俑

始皇帝は中国統一の約10年後の前210年に亡くなりました。

お墓には大量の兵馬俑がいっしょに埋葬され、始皇帝の権力の強大さを示しました。
兵馬俑は兵士や馬をかたどった焼き物の像です。

兵馬俑はゲーム「あつまれ どうぶつの森」で「もののふのちょうこく」として登場します。

もののふのちょうこくの偽物の見分け方 | 本物との違い【あつ森】

陳勝・呉広の乱

農民反乱

始皇帝の死後、前209年に中国初の農民反乱である陳勝・呉広の乱が起きました。

陳勝が言った「王侯将相いずくんぞ種あらんや」(おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや)という言葉が有名です。

王や将軍になるのに、家柄は関係ない、自分の実力が大事なんだ、という意味です。

陳勝・呉広の乱は結局、1年足らずで鎮圧されましたが、は次第に弱体化します。

楚の名家出身の項羽と農民出身の劉邦の次のリーダーをめぐって争い、勝った劉邦前漢を建国しました。

劉邦の「劉」は、貿易の「貿」の上半分+その下に「金」+右よこに「リ」みたいな字です。

おわりに

古代の黄河文明長江文明夏→殷→周→春秋・戦国時代→秦→漢の建国、までのお話でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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